Column 経済活動の自由に対する裁判所の立場は一貫しているか?

経済活動の自由に対する「公共の福祉」の制約が強いということは、裁判所も認めていることです。たとえば、「個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由等に関する場合と異なって、右経済社会政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定し、かつ許容するところと解するのが相当である」と言います。だから、裁判所は国会が経済活動の自由を制限する法律を作ってもあまりきびしくチェックしないという立場をとります。つまり、「裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限って、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である」というのです。むずかしい言い方ですが、裁判所は、国会の考え方をできるだけ尊重して、どう考えてもおかしいのではないかという場合だけ、チェックしますよ、という控え目な姿勢をとっているのです。 しかしながら、口ではこのように言いながら、実際の裁判所の態度は、大きく異なります。先の建前からすれば、他の人権に比べて、経済活動の自由に対しては、細かなチェックなどせず、違憲判断が下されることは少ないはずです。たしかに、当初は裁判所のチェックはそんな厳しくはなかったのですが(公衆浴場法違反事件、道路運送法違反事件、小売市場無許可開設事件)、のちには、くわしくチェックをおこない、違憲であると宣言することもありました(薬局設置不許可事件)。

 しかしながら、口ではこのように言いながら、実際の裁判所の態度は、大きく異なります。先の建前からすれば、他の人権に比べて、経済活動の自由に対しては、細かなチェックなどせず、違憲判断が下されることは少ないはずです。たしかに、当初は裁判所のチェックはそんな厳しくはなかったのですが(事件@公衆浴場法違反事件、事件A道路運送法違反事件、事件B小売市場無許可開設事件)、のちには、くわしくチェックをおこない、違憲であると宣言することもありました(事件C薬局設置不許可事件)。