第1講 イギリスに憲法はあるか?

答えは、イエス・アンド・ノーです。私たちがイメージする『六法全書』に載っているような憲法のまとまった条文はイギリスには存在しません(『六法全書』もありませんが…)。しかし、イギリスには、イギリスなりの憲法がしっかりあるのです。どういう形であるのかを最初にお話します。


1、憲法とは何か?


(1)イギリスには憲法がない?


イギリス には、日本と違って、「憲法」という名前のついたひとまとまりの文章がない。その意味で、イギリスには憲法がないと言える。
では、イギリスには憲法が存在しないかと言えば、イギリスの憲法学者はきっと「憲法」という名前の文章がなくても我が国には憲法が存在すると明言するに違いない。では、その憲法とは何か?
 私たち日本人は「日本国憲法」という文章をもっているために、それが唯一の憲法のあり方であると考えがちであるが、そうでない憲法のあり方、そうでない憲法という言葉の使いようもがあることに留意すべきである。

(2)憲法の意味と分類


  @ 形式的意味の憲法と実質的意味の憲法

 憲法という名前がついた文章をさして、形式的意味の憲法という。でも、憲法に書くべきことがすべて書かれていないこともありうる。そこで、憲法という名前の文章とは別に、憲法として書かれるべき内容という意味での憲法概念が生じる。それを実質的意味における憲法という。それを抽象的に表現すれば、たとえば、「国家の権限配分と個人の権利と自由」 ということになろう。

  A 成文憲法と不文憲法

 憲法が文字の形で文章化されている場合にそれを成文憲法といい、条文の形で文章化されていず、判例の蓄積や慣習などに委ねられている場合に不文憲法という。イギリス憲法は、不文憲法の例としてよく挙げられる。ただ、イギリスでも、後に述べるように、議会制定法も法源であるから、文章化されている部分もある。この点を意識して、不成典憲法と成典憲法という用語を用いる場合もあるが、あまり一般的ではない。

  B 軟性憲法と硬性憲法

 改正手続が通常の立法に比べて、困難かどうかという形式的な基準による分類である。形式的というのは、実際に改正が頻繁になされているかどうかということとは別であるという意味である。したがって、イギリスでは、憲法的な重要性をもつ立法は、形式的には通常の立法であるから、改正が容易でありその意味では軟性憲法であるが、実際には重要な法律は改正されることがほとんどない 。


2、イギリス憲法は何から成り立っているか?−法源−


(1)総論

 イギリスの憲法は、議会制定法、判例法、憲法習律の寄せ集めからなりたっている。長い歴史を有し徐々に立憲政治を実現してきたイギリスの場合には、従来は、判例法(つまり、裁判所の判決の積み重ね)、憲法習律が憲法法源の重要な位置を占めてきたが、著しく変動する現代社会においては、議会制定法による明確で詳細なルールづくりが不可欠になり、その比重がたかまっていると言える。

(2)議会制定法(Acts of Parliament)

議会が制定する制定法のことである。憲法に該当するような多くの議会制定法をがある。国の憲法上の発展におけるいくつかの基本的な段階は、有名な議会制定法によって画されている。代表的なものを挙げると以下のとおりである。
・1689年の権利章典:君主の国王大権によって支配する権限を制限
・1701年の王位継承法:議会の権限を高めイングランドの王位継承について規定
・1707年のスコットランド合併法
・1800年のアイルランド合併法
・1862年の選挙法改正法(およびその後の人民代表法)
・1911年と1949年の議会法:庶民院の貴族院に対する優位を規定
・1936年の国王退位宣言法
・1972年ヨーロッパ共同体法:イギリスを当時のヨーロッパ共同体、いまのヨーロッパ同盟(European Union(E.U.))への参加を規定

(3)判例法( Case law)


 裁判所が積み重ねる判例の集積をさす。判例というと日本では制定法を前提としてそれの解釈が集積されたものである。しかし、イギリスの場合には、判例法自体が法の一つのあり方であることに注意を要する。従来イギリス憲法は、「裁判官によって作られた」ものであると言われた(19世紀の憲法学者ダイシーの表現)。今日においても、制定法によって規制されず、裁判官によって解釈されたコモン・ローによって規制されている憲法の多くの領域があるが、近年、多くの制定法が制定され、それらが規制する範囲は確実に拡大しつつある。たとえば、「人権」関係で言えば、公共の秩序と警察の権限についてなどについては多くの制定法が制定され、新たな権限とその規制の枠組みが導入されている。しかし、もちろん、ここでも、制定法上の条項の解釈において裁判官は重要な役割を果たすのである。

(4)憲法習律(constitutional conventions)


日本で憲法を勉強するときにはほとんど議論されないことなので、これは少し説明を有するであろう。憲法習律とは、「憲法上の行為についての非法的なルールであり、憲法上権限を行使をする側の人々に対して拘束力をもつと考えられ、裁判所などの国家機関によって強制的に執行されることないものの、それに従うことが憲法上望ましいとされるもの」である。
たとえば、君主の権限を例として考えてみる。彼女は首相を任命し議会を解散する権限をもっている、とされる。しかし、実際には、女王は彼女の首相の助言にもとづいて行動しなければならない、とされている。このようなことは、制定法で決まっているわけでもないし、裁判所がそのような趣旨の判決を下したわけでもない。 君主の権限のそのような変化は、制定法や判例を通してではなく、君主は政治的に巻き込まれるべきではないとする歴史的な政治の流れの結果として、生じたのである。イギリスは議院内閣制の国であることは周知のところである。日本でそれを規定しているのは、日本国憲法第66条第3項の「内閣は、行政権の行使について、国会に連帯して責任を負ふ」という規定である。成文憲法をもたないイギリスには、これを明文化したものはない。これもイギリスでは、憲法習律として守られているということになる。
 憲法習律の性質について一般的に述べると以下のとおりである。
(a) まず、憲法習律とは、権力を行使をする側の人々を拘束するという点に意味がある。イギリスにおける立憲政治の発展は徐々におこったため、多くは制定法や判決という形で明確に定められることなく、慣習の蓄積として次第に権力の担い手によって守るべきルールとして意識されてきたのである。 

(b) 憲法習律は、議会制定法として表現されることなく司法の先例として確立していないので明確な文字や規定として形でみることができない。例外的には、ある判決がその中で憲法習律の存在に言及するかもしれないし(Carltona v. Commissioner of Works [1943] 2 All E. R. 560)、定式化されることがあるかもしれない(1931年ウエストミンスター条例の43条)。このような内容の不明確性は、政治状況への適用という柔軟性をもつと同時に、権力を握っている側に有利に運用されるという可能性をも有している。

(c) 統治機構についての基本的な枠組みは憲法習律によってできあがっている。たとえば、内閣や首相というような重要な憲法上の制度は習律によって作られている。首相への最初の制定法上の言及は1917年の制定法であり、そこでは憲法習律上の首相の存在を前提として規定が置かれている。政府と議会との関係は、大臣責任という憲法習律に照らしてはじめて理解できる。したがって、統治機構を理解するためには、日本であれば、憲法の関連規定をみて、さらに詳細には、国会法や内閣法などを参照することになるのであるが、イギリスの場合には、憲法習律を参照することになるのである 。
 ややわかりくにかろうか、具体的な内容については、それぞれの該当箇所で言及することとする 。

(5)ヨーロッパ同盟の法(EC law or EU law)


 イギリスは現在ヨーロッパ同盟の一員であり、ヨーロッパ同盟の規則、指令などはイギリス国内にとって直接的な効力を有するしくみになっており、それゆえ、それが国内法としての効力をもつことになり、内容が統治機構と人権に関するものであるならば、憲法としての法源として認められることになる。

(6)議会の法と慣習(law and custom of Parliament)


議会は自らの手続を規制する権限を有しており、それを議事規則(standing orders)によっておこなう。さらに、議院を通過した決議や議長による裁決などの形をとることもある。
先に述べた憲法習律の一部とされることもあるが、議院という執行機関を備えているという点に着目して一応別個に扱う。

(7)条約、規約などの国際法上の義務


これらは、通常は国内法においてなんらの変化をもたらさないという意味において、直接的には、憲法の法源ではない。条約は国際法上政府を拘束するかもしれないが、通常は、その条約の内容が国内法化されてはじめて憲法の法源となる可能性がでてくる(国際法と国内法の二元論)。たとえば、ECへの参加の場合には、1972年ヨーロッパ共同体法の制定によってはじめて、EC法がイギリス国内法としての効力を獲得できたのである。これに対して、ヨーロッパ人権条約は、イギリス国内で個人に直接的に執行しうる権利を与えてはいない例である。この場合に、裁判所は、議会がその道徳的義務を果たし我が国の法を条約の線にあわせる意図があったと想定することで、そのような規約に配慮を払うことができるであろうが、国内法が明確にヨーロッパ人権条約に反する規定をおいている場合には、その解釈手法にも限界がある。ヨーロッパ人権裁判所があるイギリスの法令がヨーロッパ条約に合致しないと認定することは現在までのところ、当該法令を国内法的に無効にする効力を有していないが、イギリス政府に対する大きな政治的圧力になっている(たとえば、Sunday Times v. U.K.(1989年)事件において、ヨーロッパ人権裁判所による侮辱罪法がヨーロッパ人権条約10条に反しているとの判決を下したのを受けて、1981年裁判所侮辱罪法が制定された)。

(8)権威ある学説


   いくつかの権威ある学説が法源とされることがあるが、正確には、それらが判決文の中で言及され、判決の論拠とされているからである。それらの学説としては、A・V・ダイシーの『憲法研究序説』(1885年)やブラックストーンの『イギリス法釈義』(1765年)などがある。

【参考文献】


   憲法の概念と憲法の分類一般については通常の憲法の教科書に載っているので、それを参照していただければ十分であろう。ただし、定義がそれら相互の関係については、各論者によって微妙に違うので注意されたい。
 法源論については、憲法習律がわかりにくが、これについては、高柳賢三「『憲法上の約束』の法的性格」同『英国公法の理論』(有斐閣)所収、伊藤正巳『イギリス公法の原理』(有斐閣、1954年)73頁以下、伊藤正巳「イギリスにおける『憲法上の習律』」『第2期法学教室』第8号(1963年)、粕谷友介「『憲法上の習律』試論」『上智法学論集』19巻2・3号(1976年)、原田一明『議会特権の憲法的考察』(信山社)の第T部などを参照されたい。
 ここでは直接には取り扱わないが、今後はヨーロッパ法の影響が高まっていくであろう。これについては、たとえば、山根裕子『新版EU/ EC法』(有信堂)が包括的な説明を与えている。