第16節 憲法9条には何が書かれているか

(1) 前文と9条

@基本原則・目的・手段

 戦争放棄に関する定めは、政治のしくみに関わるだけでなく、憲法の基本原則に関わるものです。戦争放棄という基本原則は、憲法の前文で確認され、それを受けて、具体的な規定が、憲法第二章第九条として存在します。九条の一項と二項は、いわば目的と手段の関係にあります。

A非軍事平和主義という基本原則

 戦争放棄に関する定めが憲法の基本原則であることは、前文の第一、第二段落で確かめられています。  まず、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、…、この憲法を確定する。」と述べ、平和主義を含むこの憲法の制定の背景には、十五年戦争(一九三一年の満州事変から一九四五年の太平洋戦争敗戦まで)の経験とそれに対する反省があります。  つぎに、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」との述べ、相手に対する不信感に依拠する軍事的手段ではなく、むしろ、諸外国に対する信頼に依拠し、自らの安全と生存を保障しようとの考え方が述べられています。  そして、最後に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を確認する。」と述べ、日本のそのような選択が全人類の平和的生存権の保障に役立つことを示しているのです。

B目的規定

 

憲法第九条第一項は、目的規定です。同項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争 と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定めます。国際法上、正式の宣戦布告を経ておこなったものが戦争であり、宣戦の布告なしに、おこなわれたものが武力の行使というふうに一応区別されているので、それを踏まえて書かれています。九条第一項によって、侵略戦争のみが否定されているのか自衛戦争も否定されているのかが争われています。一九二八年のパリで締結された不戦条約でも「国際紛争を解決する手段」と同じような表現が使用されましたが、そこでは自衛戦争の放棄までをも含むとは考えられませんでした。また、理念的にみて、自分の国を守ること自体は否定的にとらえるべきものではありませんから、本項によっては、侵略戦争のみが否定されていると考えるべきでしょう。

C手段規定

  憲法第九条第二項は、第一項で明らかにされた目的を受けて、それを実現・実行するための手段を定めるものです。第二項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と書いてあります。前項の目的とは、第1項のところでで述べたように、侵略戦争の放棄であり、そのような目的を十二分に達成するためには、自衛のためのものをも含めた一切の戦力を放棄するという手段を選択したと考えるべきでしょう。なぜならば、侵略戦争と自衛戦争との区別は困難であっても可能ですが、戦力(たとえば、戦車一台)をみて、それをあらかじめ侵略用か自衛用かを定めることはできないからです(あとで、述べるように、軍隊に関する規定が憲法上存在しないことも理由にあげられます)。  つぎに、保持しないとされた「戦力」とは、国家が一般的に有する軍事力であり、もちろん、国内の治安を維持するための警察力とは異なります。  最後に、「交戦権」とは、戦争をする権利と考える説と国家が戦争をする時に国際法上交戦者として承認されている権利の両方を含むと考えられ、それらがすべて放棄されていると言えるでしょう。

存在しない軍隊に関する定め 通常、軍隊の存在を予定している憲法には、誰が軍隊の指揮権限を有するのか(最高司令官は誰か)を規定し、軍隊には何ができて、何ができないのか、戦時においてはどのような措置とられるのか(有事立法の原則規定)が存在するが、日本国憲法にそれらの規定がないのは、軍隊の存在を想定していないからであって、当たり前でしょう。

C 「自衛権」について

 あとで述べるように、政府の自衛隊合憲論の前提には、「日本国は、自衛権を有する。」とい考え方があります。確かに、自衛権は、国際法上承認されています。国際連合憲章五一条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と定め、攻撃を受けた場合に、それに対して武力で反撃をしたとしてもそれは自衛権の行使として承認されます。つまり、攻撃をした他国に対する武力の行使を「自衛権の行使」として、国際法的に弁解できるができるのです。しかしながら、このことが直ちに憲法上の軍事力の保持を正当化するとは言えません。「自衛権」はあくまでも、国際法上の法的論理であって、国内法の論理ではないのです。ですから、為政者が、軍事力保持の正当性を国民に対して法的に弁解するためには、「自衛権」では根拠にならない。したがって、「自衛権」を根拠に自衛隊を合憲であると認めることはできないのです。  現に、帝国議会でいまの憲法の草案が審議されていたとき、当時の首相吉田茂は、九条の意味について、「戦争抛棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したものであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります。」と答弁しているのです。