第17節 どうして自衛隊と安保条約があるのか?

 憲法九条は空洞化したと言われることがあります。あるいは、九条は理想だが、現実はまったく違うとも言われます。しかし、逆に、九条があるからこそ、この程度の軍事力の保持ですんでおり、それでも邪魔だから「改正」しようという人がいることも現実です。  ここでは、九条が掲げる内容が十分には現実となっていないけれども、なおも九条に縛られている現実を紹介します。

(1)自衛隊はどうして生まれ、どのように成長してきたのか

警察予備隊の発足 大日本帝国が戦争に負け、帝国陸海軍が解体されていたので、日本国憲法が制定される頃は、日本には軍隊は存在しませんでした。しかし、中華人民共和国が一九四九年に成立し、アメリカの対日本の占領政策が変化しました。従来は、中国大陸を対ソ連に対する軍事防衛ラインと考えていましたが、中華人民共和国の成立によって、日本を「共産主義」の「防波堤」にすることとし、日本に一定の軍事力をもたせこととしたのです。  一九五〇年六月、朝鮮戦争の勃発により、アメリカ占領軍は、「国連軍」として朝鮮半島へ出動しましたが、手薄になった日本の軍事力を補うため、マッカーサーは、一九五〇年七月八日に、日本政府に対して、警察予備隊の創設を命じ、日本政府は、一九五〇年八月一〇日に、警察予備隊令を制定した。警察予備隊は、建前としては、警察力を補うものとされていましたが、その実態は、カービン銃、バズーカ砲、戦車をもち、軍隊でした。この再軍備は、まさにアメリカの押し付けであったのであり、国民の自主的な判断の結果ではなかったのです。このような当初の事情に由来する「日本軍」の対米従属性は、戦後一貫して継続することになります。

 なお、この時期に、吉田茂首相が、一九四九年一一月一二日に、「自衛権ということを申しましたのは、日本は戦争放棄に徹底する。しかしながらそれは武力によらざる自衛権は存在しておるのである。」と答弁していることは、あとから考えれば、その後に展開される政府見解の変遷の出発点であったのです。

保安隊・海上警備隊の成立 警察予備隊は、兵力一二万人の保安隊・海上警備隊に改組されます)。重戦車、フリゲート艦、上陸支援艇なども装備していました。  そして、当時の政府は、「憲法は、侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず『戦力』の保持を禁止している。その戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を備えるものをいい、『戦力』に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない。」(一九五二年一一月二五日の吉田内閣統一見解)と述べ、保安隊・海上警備隊は9条が禁止している「戦力」に当たらないと主張しました。

自衛隊の発足 自衛隊が発足したのは、一九五四年です。防衛庁設置法および自衛隊法の制定され、保安隊は陸上自衛隊に、海上警備隊は海上自衛隊に、そして、航空自衛隊をあらたに加えて、三軍体制となりました。自衛隊法3条は、「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる目的とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。」と定めたのです。  これらを正当化するための政府見解として、「憲法では自衛権が認められており、それはただ観念だけではなしに、それを裏づける一つの実力を伴うものである。その実力の限度とは、自衛のために必要最小限度のものであるということである。」(一九五八年四月一八日の岸内閣総理大臣の答弁)との見解が示された。これが、現在にいたるまで、自衛隊を憲法違反としないための政府の見解です。自衛戦争または自衛戦力肯定論ではないことに留意する必要があります。

自衛隊の増強 自衛隊は、下の「防衛関係費の推移」(別紙)を見ればわかるように、その誕生以来一貫して増強されてきました。この間、一九七六年一〇月には、防衛予算を「GNP(国民総生産)1%枠」内とするの閣議決定がなされましたが、これも一九八七年一月二四日には、撤廃されたのです。  最近は、ポスト冷戦と言われ、軍事的脅威が従来に比べれば低下したとされます。実際、先進諸国の軍事予算は、軒並減少しているのですが、日本の防衛予算は、増加率の低下はあるものの、減る傾向にはありません。

(2) 安保条約はなぜあり、なぜ在日米軍がいるのか?

旧日米安全保障条約 日本の独立は、「日本国との平和条約」(発効一九五二年四月二八日)の締結、発効によって果たされました。それまでの日本は、敗戦により占領されている状態が続いており、主権国家でなかったのではなかったのです。この条約には、占領軍は撤退するが、そのあとに外国軍隊がとどまる約束をすることは差し支えないとの定めがありました(第6条(a))。この約束が、同時に締結された旧日米安全保障条約でったのです。  この条約(発効一九五二年四月二八日)の建前は、日本は、「固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。」ので、「その防衛のための暫定措置として」、アメリカ軍の駐留を希望するというものでした(前文)。しかしながら、アメリカは、日本に対して、防衛義務を負っていたわけではない。さらに、「アメリカ合衆国は、日本国が、…直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のために漸増的に自ら責任を負うことを期待する。」とし、憲法を無視して軍備の増強を図る義務を負ったのです。

現行日米安全保障条約の成立 旧日米安全保障条約は、一九六〇年に改定されます。大きな反対運動がありましたが、深夜に警察隊が野党議員を実力で排除して自民党の単独採決で国会の条約承認手続きをとりました。国民の反発の強さから、当時の岸内閣は総辞職しました。  この改定された日米安保条約は、従来の基地提供条約としての性格を受け継ぎ、極東を担当する在日米軍への攻撃に対して日本も共同して対応することを義務づけられたのです。条約の第6条は、「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」と定め、第5条は、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法の規定に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」と定めました。安保条約が「安全を保障するどころか、戦争に巻き込まれる条約だ」との批判を招いたのは、この規定です。たとえば、アメリカ軍が「極東」(第6条)地域で活動しある国を攻撃したとする。その国からみれば、日本は、アメリカ軍に基地を提供している国であり、その基地は「交戦区域」になり、国際法上、その国は、日本にあるその基地を攻撃することが許されることとなります。そして、そのような攻撃があれば、この五条によって、日本も「対処」しなければならなくなるのです。これでは、アメリカ軍の勝手な行動によって、日本が戦争に巻き込まれます。この点が安全保障条約が大きな反対を受けた理由であり、「事前協議制」がつくられた理由です。

 ことば   事前協議制

 一九六〇年一月一九日づけのいわゆる「岸=ハーター交換公文」は、事前協議制をもうけることを約束しました。その内容は、「配置・装備における重要な変更」を「日本国政府との事前の協議の主題とする」というものでした。ただ、「事前の協議の主題とする」と言っても、「日本国の合意を必要とする」ということを意味するわけではないので、最終的には、アメリカ軍は自己の意思で行動できるのを何ら妨げられないことになります。

日米安保条約の「再定義」 「ソ連の脅威」が消滅したなかで、本当に安保条約はいまでも必要なのでしょうか? 一九九五年九月に起こった少女暴行事件をキッカケとして、沖縄に在日アメリカ軍の基地が集中し、県民の生活を脅かしていることが問題とされていますが、さらに、そもそも安保条約はなぜあるのか、をあらためて問う声もあります。  これに対して、日本政府やアメリカ政府は、安保条約にあらたな意味づけをあたえて安保条約を今後も維持しようとしています。このような考え方を、日米安保条約の「再定義」と言います。いままでは、日本を守るために必要がという理屈だったのですが、これからは、「アジア太平洋地域の安定」や「世界の安定」のためのものとして位置づけようとされています。ただ、条約の条文を変更する手続きをとると国会の承認手続きが面倒であると考えているようで、日米首脳の共同宣言によってなされることが意図されています(一九九五年四月の日米首脳会談)。  もちろん、条約の条文が変われなければ、このような位置づけの変更は、安保条約自体にも反することですし、それを日米首脳の共同宣言のみでおこなうことは民主主義の軽視です。さらに、日米安保条約は、基本的に、軍事に関する条約ですから、自衛隊がアメリカ軍とともに、世界中で軍事行動をすることを支えるしくみとして用いられることになるという危険性があるのです。

事件@ 警察予備隊違憲訴訟  マッカーサーの命令により警察予備隊が発足したのに対し、日本社会党の鈴木茂三郎が、最高裁判所を一審にして終審の憲法裁判所と理解し、警察予備隊の設備維持に関する一切の行為が憲法9条に違反し無効であることの確認を求めた事件です。  最高裁判所は、具体的事件を離れて抽象的に法律、命令等が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有するものではないので、具体的な法律関係に関するものでは請求をされても本訴訟とはならないとして、裁判所で取り上げることを拒否しました(最大判一九五二年一〇月八日)。

事件A 砂川事件  一九五七年七月、東京調達局が米軍使用の立川飛行場拡張のため砂川町民有地の測量を開始したのに対し、千余人の集団が反対し、この事件の被告人たち七名が四・五メートル境界柵から基地に入ったので、旧安保条約六条に基づく行政協定に伴う刑事特別法二条違反として起訴されました。  第1審の東京地方裁判所は、外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で、合衆国軍隊の駐留を許容していることは、憲法九条二項前段によって禁止されている戦力にあたるとして、9条に違反し、刑特法が軽犯罪法一条三二号よりも重罰を課しているのは憲法三一条に違反する、として、無罪を言い渡しました(一九五九年三月三〇日)。  驚いた検察側が、跳躍上告しました。最高裁判所は、@我が国が指揮権・管理権を行使しえない外国の軍隊は、憲法9条2項によって禁止されている戦力にはあたらない。A我が国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが違憲か否かの法的判断は、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査の範囲外にある。B安保条約およびそれに基づく合衆国軍隊の駐留は、憲法九条、九八条二項および前文に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは認められない、として無罪判決をくつがえしました(最大判一九五九年一二月一六日)

事件B 恵庭事件   この事件は、北海道恵庭町の島松演習場に隣接する乳牛牧場主(野崎美晴・健美兄弟)が、砲爆音による被害(乳牛早流産、乳量低下等)を防止するために陸上自衛隊カノン砲射撃に抗議し、聞き入れられず着弾地測定・射撃命令伝達用の通信線を数か所切断したために、札幌地検が、自衛隊法一二一条の「防衛の用に供する物」に対する損壊規定を適用して、札幌地裁に起訴した事件です。  札幌地方裁判所は、@自衛隊法一二一 条にいう「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」の損壊を罰する刑罰法規は、罪刑法定主義に基づき厳格に解釈されねばならず「防衛の用に供する物」とは、例示されている武器等と高度の類似性が認められる物件であり、本件通信線は、該当しない。A裁判所が違憲審査権を行使しうるのは、具体的争訟の裁判に必要な限度に限られ、刑事事件においては、当該事件の主文の判断に直接かつ絶対必要な場合だけであり、本件において、「防衛の用に供する物」という犯罪構成要件に該当しないという結論にた以上、憲法問題に関し、なんらの判断をおこなう必要がなく、おこなうべきではない、として、無罪の判決を下しました(札幌地判   年 月 日)。  なお、検察官の控訴権放棄により無罪が確定しました。

事件C 長沼事件

 一九五八年五月、ナイキ型地対空ミサイルの発射基地を北海道長沼町馬追山(国有地)の保安林を伐採して設置する申し入れがあり、反対運動がおこりました。しかし、一九六九年七月七日農林大臣は森林法二六条二項に基づき保安林の指定解除の告示をおこない、同日長沼町民が、同条にいう「公益上の理由により必要が生じた時」には違憲の自衛隊の施設設置は該当しないから、同告示は違法かつ取消されるべきだとして行政事件を提起しました。  第1審の札幌地方裁判所は、自衛隊が九条二項で禁止されている「戦力」に当り、そのための保安林の指定解除は無効であるとして、請求を認めましたが、第二審の札幌高等裁判所は、その判断を覆し、最高裁判所に上告されました。最高裁は、@本件保安林の指定解除にともなう上告人らの洪水、渇水の危険防止上の不利益の状態はなくなったので、訴えの利益は失われた。A憲法判断については、訴訟要件の有無の問題に関する限り特段の意味をもたない、として、住民の訴えを退けました(最判一九八二年九月九日)。

事件D 百里事件

 一九五六年防衛庁は航空自衛隊百里基地建設を計画した。これに反対する農民の反対同盟の石塚は、基地内の土地を所有するBから土地を買取ることとし、合意が成立、代金三〇六万円のうち手付金と内金一一〇万円を支払ったが、Bが残金一九六 万円の債務不履行ありとして契約解除ののち、返却した。Bと国が原告となって、国の所有権の確認等をもとめて出訴、石塚は、九条違反、民法九〇条の公序良俗違反であると反論した。  最高裁判所は、@土地売買のような私法上の行為は、憲法九八条一項の「国務に関するその他の行為」にあたらず、憲法九条は直接適用されない。A憲法九条が直接民法九〇条の「公の秩序」の内容となるのではなく、反社会的行為であるとの認識が確立しているかどうかが基準となる。B本件契約の一九五八年当時、自衛隊のために国と私人との間で、売買契約を締結することが、反社会的行為であるとの認識が確立しておらず、契約は有効である、としました(最大判一九八九年六月二〇日)。