第18節 海外に出かける自衛隊

(1) 自衛隊はなぜ海外に出かけることができるのか?

 @ 本来は自衛のために存在する

攻撃されたら日本を自衛するために存在する自衛隊が、なぜ海外に出かけるのか? 自衛隊が創設された当時は、自衛隊の海外出動は行わないことと考えられていた。例えば、1954年6月2日の参議院本会議で「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する」とする「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」が採択され、政府も、「申すまでもなく自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接並びに間接の侵略に対して我が国を防衛することを任務とするものでありまして、海外派遣というような目的は持つていないのであります。従いまして、只今の決議の趣旨は、十分にこれを尊重する所存であります」(木村篤太郎保安庁長官答弁)と述べていたのである。

 A 集団的自衛権では説明できない

前述したように、政府見解でも、行使が許されるのは個別的自衛権のみであり、集団的自衛権の行使は許されない。1987年9月27日の政府答弁書は、「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている」としたうえで「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」としている。 万が一、集団的自衛権を無制限に認め、アメリカとの軍事同盟条約を締結すると、世界に展開しているアメリカ軍がどこで攻撃を受けても、自衛隊は助けに出かけるということになる。

 B 海外派兵と海外派遣は違う

自衛隊が海外で活動ができる理由は、政府によれば、海外○○と海外○○の区別で説明されることとなる。たとえば、1980年10月28日政府答弁書は、「従来、『いわゆる海外派兵とは、一般的にいえば、武力行使の目的をもつて武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣することである』と定義づけて説明されているが、このような海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。したがつて、このような海外派兵について将来の想定はない。/これに対し、いわゆる海外派遣については、従来これを定義づけたことはないが、武力行使の目的をもたないで部隊を他国へ派遣することは、憲法上許されないわけではないと考えている。しかしながら、法律上、自衛隊の任務、権限として規定されていないものについては、その部隊を他国へ派遣することはできないと考えている。このような自衛隊の他国への派遣については、将来どうするかという具体的な構想はもつていない。」と説明されるのである。 したがって、個別の法律で、武力行使の目的ではなく、どのような場合に、どのような手続きを経て、どのようなことをするために「海外派遣」できるのかを規定すれば、海外にでかけられることとなる。

(2) 自衛隊の海外活動にかかわる法律のあらまし

 @ PKOへの自衛隊派遣のしくみ

はじめに

 一九九二年六月に成立した国連平和維持活動協力法(以下、PKO法)は、日本国憲法の平和主義に大きな転換を迫るだけではなく、いわゆるポスト冷戦下で日本が世界とどのように関わっていくのかについても一定の方向性を迫るものです。PKO法のしくみはわかりにくいので、何よりも具体的な内容を確認することが大切です。さらに、この法律にもとづいておこなわれている日本のPKO活動にも関心を払い続けることが必要です。

何に協力するのか?―PKOと人道的な国際救援活動― PKO法の第2条は、「…政府は、…国際連合平和維持活動及び人道的な国際救援活動に効果的に協力するものとする。」として、PKOだけではなく、人道的な国際救援活動をあげています(具体的には、下の「自衛隊がおこなう国際平和業務」参照=別紙)。  まず、「国際連合平和維持活動」ですが、国際連合憲章にはこれに関する規定はありません。憲章第七章の「強制措置」が米ソ対決の中で機能しなかったため、国連の慣行の中で形成されてきたものです。国連のパンフレットによれば、「紛争地域の平和の維持もしくは回復を助けるために国際連合によって行われる、軍事要員を伴うが、強制力はもたない活動」であるとされ、具体的には、@平和維持軍、A停戦監視団、B選挙監視があります。ただ、近年PKOの性格が変化してきたのではないかと言われ、従来は、紛争に関係がある大国が関与することはなかったが、イラク・クウェート監視団などには、紛争当事国も参加し、さらに同意にもとづいているわけではなく、国連憲章第七章に基づく措置とされている場合もあります。  これに対して、PKO法のPKOの定義は、停戦合意(したがって武力の行使は伴わない)、紛争当事国の受け入れ同意、PKO活動の中立が条件になっていますが、この定義では実際の国連のPKO活動すべてがあてはまるわけではありません(第三条一号)。このズレから、国内的には、停戦合意、受け入れ同意、中立の原則に基づくPKOにつき、国民の承認を経ておいて、国際的にはあるいは実際上は、これらの原則に必ずしも合致しないPKOにもなし崩し的に参加していく危険性があります。  たとえば、停戦合意という条件について、カンボジアの事例では、ポル・ポト派が武装解除せず、戦闘がおこなわれていても、「休戦協定は順守すると言っている」ことを根拠に、停戦の合意という条件が満たされているという立場を日本政府はとったのです。「停戦の合意」という条件ゆえに、「安全なところ」へ行くと多くの国民は誤解しのであった。

何が協力するのか?

 主な協力者は、自衛隊です。PKO法では、自衛隊の部隊が中心的存在であり、第三条第三号のイからヘの業務は、自衛隊の部隊のみおこなうとされいます。確かに、「国際平和協力隊」に併任されます(一二条四項)が、八条三項により部隊の司令官に権限を委任すれば、事実上自衛隊がそのまま参加することと変わりありません。そして、この部分が国会の事前承認の対象となり、凍結されたています(六条七、八、九項および付則二条)。

どう協力するのか?

  まずは、国会の事前承認と事後承認という手続きが必要です。これによって一見シビリアン・コントロールが確保されたようにみえますが、七日以内の議決に努めなければならないとの規定は、国会の自律権を侵害するものです。なお、事後承認は、同条10項に規定されている。承認の判断材料になる「実施要領」がすべて国会に提出されていないのも問題です。  PKO法制定時にかなり議論されのは、「武器の使用」が「武力の行使」にあたらないか?という論点です。第二四条第三項は、自衛官の「武器の使用」を認めていますが、政府見解によれば、あくまでも個々の隊員の武器使用であるから、いわゆる武力行使(「我が国の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」)とは違い、「自己保存のための自然権的権利」であるというのです。これで部隊としての武器使用は一応否定された形になっていますが、他方では、「自衛隊員の上官のもとでいわば個々の隊員のもつ権限を束ねる形で武器を使用するということはありうると思います。」とも言われる。  さらに向こうで出かけて行ったあと、日本政府の「指揮」と国連からの「指図」は一致するか、という問題があります。平和維持軍に参加するのは日本単独ではなく、国連の指揮下で各国軍とともに行動することになるからです。しかし、同法にこのことが明記されず、いつでも日本政府の支持のみで行動するがごとくに読める。ただくわしく見ると、七条二項に「事務総長の権限を行使する者が行う指図」という表現がでてくる。要するに、現地で指揮されそうなことは事前に作成する「実施要領」で決めるというので、食い違いが生じないというのが政府の立場です。  しかしながら、カンボジアPKOの際には、食い違いの事例がいくつかみられましたが、文民警察官・高田春行警部補が死亡した直後の政府の対応にも、顕著な事例が発生しました。日本政府は、対応策の一つとして、日本人警察官を一時的にプノンペンに集め、安全対策を協議することを決定しましたが、これに対して、国連は、「文民警察官は、日本政府ではなく、国連の命令に従わなければならない。」と批判するということがあったのです。

 A PKO法の違憲性

PKO参加五原則

 自衛隊は憲法違反と考えるべきですから、それがおこなうPKOは当然憲法違反ということになります。これに対して、政府は、自衛隊合憲論を前提として、PKO参加五原則、すなわち、@武力紛争の当事者の間に停戦の合意があること、A当事者がPKO活動の受入れに同意していること、BPKO活動が中立的に実施されていること、C以上の条件が崩れた時は、日本政府の判断で撤退、または業務の中断をすること、D武器使用は、隊員の生命・身体を守る自衛の場合のみに限定されること、の五つの条件がある場合には、派遣が可能であるというのです。

その問題点

 この政府見解にはさまざまな批判が存在します。第一に、PKO参加五原則を自衛隊派遣合憲論の理由とする点について、この五原則自体は、従来から存在するものであり、それをいまさら突然理由づけとしてだしてくるのはおかしいこと、また、この原則は完全に守られているわけではなく、ましてや、国連においては現在、この原則をPKO部隊に積極的な武力行使を認める方向でゆるめようという動きがあることから、それほど明確な内容ももったものではないことが指摘されています。武力行使にあたらないので自衛隊の海外派遣は憲法上可能であるとの議論については、それは、「武力行使」の定義を、「我が国の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為」と不当にせまく定義することによってのみ成り立つ議論であるとの批判が妥当するでしょう。武力行使とは、国家の軍隊としての戦闘活動をすべて含み、ある行為が上官の命令でなくとも、あるいは攻撃に対する自衛ないしは反撃にでたものであって、正規の軍隊としての行動であることにはかわりなく、法律的に言えば「職務の執行」であり、「自然的権利」と言い得るようなものではありません。

 なお、付け加えれば、かりに、政府見解にたった上で、現行のPKO法が合憲であるとしても、カンボジアなどでの同法の執行が適法におこなわれたかどうかについては、PKO法違反のPKO活動がおこなわれたと考えられます。

参考文献

・小林直樹『憲法第9条』(岩波新書)
・杉原泰雄『平和憲法』(岩波新書)
・防衛庁編『防衛白書』(大蔵省印刷局)
・『別冊宝島133 号・裸の自衛隊』(宝島社)
・前田哲男編『自衛隊をどうするか』(岩波新書)