第9節 身体の自由と刑事手続

 身体の自由(または「人身の自由」とも言われる)とは、身体〔body〕が不当に拘束されることを許さないということである。なぜこのような内容が人権として保障されているかと言えば、身体が物理的に拘束され活動の自由を奪われた状態では、他の自由などを行使しうる余地もなく、不当な政治権力に対する抵抗も不可能であり、自由な精神的・経済的な活動も、自分らしい生活を過ごすこともできないからである。
具体的に日本国憲法は、18条で奴隷的拘束及び苦役からの自由を定め、31条から30条まで刑事手続における人権保障に関する規定をおいている。31条は刑事手続に関する基本的な考え方である、適正手続の保障を定め、各論としておおまかに分けると33条から36条で被疑者としての人権に関する規定、36条から39条で被告人としての人権に関する規定をおき、最後に裁判が無罪に終わった場合の補償に関する規定をおいている。 外国の憲法と比較しても、日本国憲法は身体の自由についてこのような詳細に規定を置いている。これは、戦前の大日本帝国憲法下で身体の自由が不当に侵害されがちであったことの証左である。戦前においては多くの人権を制限する法律があったが、その適用においてそれらの法律でさえも規定していない拷問などの不当な取り調べが行われたことが留意されるべきである。

(1) 奴隷的拘束と意に反する苦役の禁止

憲法18条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と定める。「奴隷的拘束」とは、「自由な人格者であることと両立しない程度の身体の自由の拘束状態」であり、「その意に反する苦役」とは、「広く本人の意思に反して強制される苦役」である。 「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。」は無条件であるから、たとえ犯罪による処罰の場合であっても、奴隷的拘束に該当するような服役者の取り扱いは許されない。「その意に反する苦役」については、憲法が「犯罪による処罰の場合を除いては」としているので、刑罰はたとえ「その意に反する苦役」であっても憲法が明示的に許容するところであると言わなければならない。

(2) 刑事訴訟の基本的な枠組み

 刑事手続の対象者となると、手続の各段階において、異なる名称と扱いがあり、それらに応じて権利保障のあり方が定められている。  そして、このような手厚い人権保障の背後には、刑事手続における大前提としての「無罪の推定」の原則という考え方があるからである。そして、それは、とくに、裁判所の審理手続きにおける証明責任の配分にあらわれている。すなわち、刑事裁判においては、検察官が、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に有罪の事実を立証することができてはじめて、被告人を有罪とすることができるというのが犯罪の証明の基本的な考え方である、ということである。被告人は積極的に無罪であることを証明する責任を負っているわけない。積極的な立証は検察側の仕事であり、弁護側がそれを批判しそれが十分でないことを指摘すればいいわけである。罪を犯したのにもかかわらず、どうしてそのような一方的な有利な取り扱いが認められるのかと思われるかもしれない。しかし、この時点では、神の身ならぬ私たちには誰が真犯人はわかっていないというのが前提なのである。そして、国家の側がある特定人物をこいつが犯人であると処罰しようとしているのである。したがって、そのための手続きが刑事手続きである。そして、そのために膨大な警察・検察組織を国は抱えているのである。この点だけをみても、国側が圧倒的に有利である。万が一被告人側に立証責任を負わせると、罪を犯したゆえではなく、無罪の立証に失敗したがゆえに処罰されることになる。もしそんな制度にするのであれば、弁護側に無罪を立証するための弁護組織をつけてあげることにしないと公平ではないということになる。言い換えれば、「疑わしきは被告人の利益に」である。ちょっと疑わしい、という程度で有罪とされ、刑を科されることになったら大変である。  そもそも刑事裁判とは、被害者に代わっての復讐でもなければ、事件の社会的な背景の全面的な解明でもなければ、加害者の更正それ自体でもない。裁判員制度が導入される中で、そのことを十分に理解してもらう必要がある。

(3) 適正手続の保障

 憲法31条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めている。これを適正手続の保障という。この規定は、国家権力の行使を手続の観点から規制することによって、人権が不当に侵害されることを防止しようとする発想に支えられている。 憲法31条は、手続が法律で定められていることのみを明示的に規定しているにとどまるが、一般には、これにとどまるものではないと理解されている。他には、@法定される手続が適正でなければならないということ、A手続のみではなく実体も法律で定められていること(これを刑法では「罪刑法定主義」という)、そして、Bその実体も適正でなければならないことを含むと解するのである(これには、法律の規定の明確性、規制内容の合理性および罪刑の均衡などの要請が含まれる)。

(4) 被疑者の権利

@不法な逮捕からの自由

憲法33条は、「何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない」と定めている。捜査機関が被疑者を逮捕する場合、司法官憲(=裁判官)が発行する逮捕令状が必要であり、これにはなぜ逮捕されるのかの理由が明示されていなければならない。ただし、現行犯逮捕の場合は、逮捕の必要性が高く誤認逮捕の可能性も低いので令状主義の例外とされている。

A抑留・拘禁の理由の開示

 憲法34条は、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」とする。「抑留」とは、「一時的な身体の拘束」であり、刑事訴訟法上の留置にあたり、「拘禁」とは、「より継続的な身体の拘束」であり、刑事訴訟法上の勾留・鑑定留置にあたる。34条後段にもとづいて、刑事訴訟法の勾留理由開示制度(82条)が置かれている。

B 弁護人依頼権

憲法34条は、「何人も、…直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留または拘禁されない」と定め、身柄を拘束される被疑者に弁護士依頼権を保障している。被疑者が、刑事事件の専門家である捜査機関と対等に向き合うためには、法律専門家の助けが必要である。ただし、被疑者には国選弁護人は附されない(国選弁護人に関する憲法37条は、被告人にのみこれを保障している)。このような法の不備を補うため、司法制度改革の一環として、公的弁護制度の充実が掲げられ、弁護士会の紹介が刑事訴訟法上明記され(刑訴31条の2)、法テラス(総合法律支援センター)が国選弁護人の選任態勢の確保に努めるものとされ、また、死刑又は無期若しくは短期1年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪の事件では,勾留段階から国選弁護制度を導入することとなった(刑訴37条の2)。 

C 住居などの不可侵

憲法35条1項は、「何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない」とし、同2項は「捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状によりこれを行う」と定め、捜査の過程において、住居などが捜査機関によって不法に侵害されることのないように裁判所によるチェックを行うこととしている。

D取り調べに対する権利

憲法36条は、「拷問…は、絶対にこれを禁ずる」と定める。拷問とは人間の体に苦痛を加えることであるから、たとえ犯罪捜査のためといえども許容される余地はない。  また、第38条1項は、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と定め、被疑者と被告人のみならず証人にも供述の自由(黙秘権)を保障している。  さらに、のちに述べるように、憲法38条2項は、「強制、拷問若しくは脅迫による自白または不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」と定めており、証拠の取り扱いの観点から、間接的に、取り調べのあり方を規制している。

(5) 被告人の権利

@ 公平・迅速・公開の裁判

憲法37条1項は、「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と定め、刑事訴訟手続に対する憲法上の要請として、@公平、A迅速、B公開、の3つがあることを明示している。「公平」については、裁判官の構成において偏りがないこととされ、そのために裁判官などの除斥・忌避・回避の制度がおかれている。「迅速な裁判」とは「社会通念から見て不当におくれた裁判でない裁判」をいうが、具体的な救済に結びついた唯一の例としては、15年あまり審理が中断した高田事件において最高裁が、審理の打ち切りを宣言した例がある。「公開裁判」とは、対審および判決が公開の法廷でおこなわれる裁判をいう。

A 証人審問権・喚問権

憲法37条2項は、「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、また、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する」と定め、自分に不利な証言を審問する権利と、自分に有利な証言をする証人を喚問する権利を保障している。 このような証人審問権の保障から、伝聞証拠禁止の原則が導かれ、刑事訴訟法は、「…公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない」とする。ただし、例外として、一定の条件を満たした検察官の面前でなされた供述を録取した書面などは証拠とすることができる。冤罪事件で本人が法廷で無実を主張しても、検察官面前調書が証拠として採用されることも珍しくはない。

B 弁護人依頼権・国選弁護人権

憲法37条3項は、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する」と定め、私選弁護人を依頼できない被告人に国選弁護人を保障している。「できない」とは、主に被告人が経済的貧困のために弁護士に依頼することができない場合をさすが、被告人が自ら探したのでは誰も弁護人を引き受けてくれないような場合も含まれる。

C 不利益供述強要の禁止

憲法38条1項は、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と定める。すでに被疑者に対する取り調べについてもこの規定が意味を持つことは言及したが、本来的には、刑事裁判において、刑事被告人及び証人に対して保障したものである。したがって、刑事被告人のみならず、証人として証言を求められた者についてもこの権利は保障される。保障の趣旨は、自己に不利益な供述をしないことを理由としてなんらかの不利益な処分を課せられることはないということである。

D 自白

憲法38条2項は、「強制、拷問若しくは脅迫による自白または不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」と定めている。強制・拷問・脅迫による自白や不当に長く抑留・拘禁された後の自白は、任意性が疑わしく、虚偽の可能性が高く、裁判を誤らせる恐れがある。また、拷問や脅迫等によって取調べをおこなってはならないのであるから、それらによって得られた自白の証拠能力を否定することで、取調べにおいて拷問や脅迫等が行われないという効果もまた期待できる。また、憲法38条3項は、「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、または刑罰を科せられない」と定め、自白を支える補強証拠を求めている。

E 事後法の禁止

 憲法第39条は、「何人も、実行の時に適法であつた行為……については、刑事上の責任を問はれない」とする。刑罰法規に遡及効(=制定時から遡る効力)をもたせてはならないということであり、罪刑法定主義によっても要請されるところである。

F 一事不再理

憲法第39条は、「何人も、…既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」としている。前者は無罪の判決が確定した場合、後者は有罪の判決が確定して場合を念頭に置いた表現である。いずれにしても、すでに終結した裁判を蒸し返して、無罪を有罪にしようとしたり、軽い刑罰を重くしたりすることを禁止する趣旨である。

(6) 死刑は残虐な刑罰か?

第36条は、「残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」としているので、残虐な刑罰は許されないが、これに何が該当するかは明確ではない。最高裁は、火あぶりなど残虐な死刑の執行方法は許されないとしたが、死刑それ自体は許されるとした。学説には、死刑を憲法違反とするものがあるが、多くは、憲法31条の形式的な反対解釈の結果として、死刑制度を合憲としている。しかしながら、これは、死刑制度が制度として憲法に違反しないということのみを意味するのであって、死刑制度全体の運用についての合憲性や個々の死刑判決の合憲性を直ちに意味するものではないし、ましてや、死刑制度が犯罪防止に有効であるとかなどの政策的当否に直結するものではないことに留意すべきである。

(7)刑事裁判が誤ったときには…?

日本国憲法第40条は「何人も、抑留または拘禁された後、無罪の判決を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる」とする。この「法律」としては、刑事補償法が定められているが、憲法の文言と同じく、「無罪の裁判を受けた者」が補償を請求しうるとしている。

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