第7節 考え伝える自由〜精神的自由権〜
憲法19条が保障する「思想及び良心の自由」、憲法21条が保障する「表現の自由」、憲法20条が保障する「信教の自由」そして憲法23条が保障する「学問の自由」を精神的自由権と総称する。要するに、精神的な営みについて、国家権力による不当な制約を認めないという権利である。
「自分である」とは、まさに自分らしく考えることである。その人にとって固有のものとは、その人の頭の中に存在する。その知的営みこそが私たちの生活を築いてきた。もちろん、知性は、同時に、核兵器や遺伝子工学などにみられるように、人間の存在を否定する可能性をも有するが、それもまた知的営みによって克服されることが期待されよう。
人はまず考えるための知識を学び、新たな情報を得て、一定の見通し、考え方、思想、主義を形成し、他人とのコミュニケーションを通して、それらを深めたり、変えたり、確かめたりする。そのような中で、憎悪が生まれることもあれば、共感が育まれるかもしれない。いずれにしても、このような情報の流れがスムーズに続くように保障するのが、精神的自由権の目的である。
当初は、国家権力による侵害・抑圧を排除すれば、各人が主体的に情報を流通させるであろうと考えられた(「思想の自由市場」論)。しかし、現代においては、巨大な情報主体としての国家や企業(とりわけマスコミ)が登場し、情報主体間の対等性確保のために、知る権利と情報公開などが必要であるとされている。
ただ、インターネットが、多数の不特定の者と多数の不特定の者との情報のやりとりを通して、対等な表現者同士の関係を再構築する側面がある(いわゆる「双方向性」)があることにも注意が必要であろう。
(1) 「思想・良心の自由」とは何か
@「思想・良心の自由」
憲法19条は、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定めている。 ここでいう「思想・良心」とは、その人なりの心の中の営み全体をさす。「内心の自由」とも言われる。しっかりとした体系的なもののみ、たとえば「主義、思想、世界観」と呼びうるもののみが保護されるという考え方もあるが、それでは「なにも考えていない大学生」には保障が及ばなくなってしまう。また、だれがそれを「主義、思想、世界観」と呼びうるものにあたるのかを判定するのか、が問題となろう。 そして、「思想・良心」について「自由」を保障するということは、4つに分けて考えることができる。第1は、一定の思想を強制されないこと。第2は、思想内容を調べられないこと。第3は、思想によって差別的な取り扱いを受けないこと。第4は、思想の告白を強制されないこと、である。 たとえば、国家権力が一定の思想を直接的に強制するという「洗脳」はSFの話であって、現実には一定の思想を公然と強制するという手法をとることは現代社会においては稀であり、間接的な手法により国民が知らず知らずのうちにそれが当たり前だと思ってしまうような結果をもたらそうとするであろう。たとえば、元号使用の事実上の強制や君が代、日の丸を国歌、国旗として教育現場で行事の際に使用することを義務づけることなどがある。
A
B
C
D
E
F
Case 謝罪広告事件
Case 君が代起立命令事件
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Column ○○○○○○○
Column ○○○○○○○
(2)「表現の自由」とは何か
@「表現の自由」とは何か
憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とし、2項は「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」と定めている。これらが保障する「表現の自由」とは、事実であるか、思想であるかを問わず、自らが表現したい内容を表現したい方法で表現することである。 まず第1に、表現の対象は、思想・信条・意見などだけではなく、単なる事実も表現の対象となる。したがって、マスコミなどの「報道の自由」も「表現の自由」の対象となる。 第2に、表現したい内容のいかんを問わないとするのが原則であるが、内容によっては他人の人権を侵害する場合もないとは言えず、内心の自由が絶対的に保障されたのとは異なり、内在的制約としての「公共の福祉」の制限を受けると考えられている。この点が表現の自由をめぐる問題のおもな内容をなしている。 第3に、表現したい方法を選択する自由をも保障する。他の表現方法が許されているから、当該規制が直ちに合憲であるとは言えない。表現方法は、表現者がその表現の対象を誰とするかに大いに関わりがある点に留意すべきである。A検閲の禁止
Case 謝罪広告事件
Case 君が代起立命令事件
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
B表現の自由VS名誉の保護
名誉毀損とは、公然と事実を摘示して、当該人物の社会的な評価を低下させることをいう。「公然」とは、「不特定多数の人の視聴に達することが可能な状態」をいい、「事実」とは、真実であるか、虚偽であるかを問わない。詳細な成立要件は、刑法230 条および230 条の2の解釈論として展開されている。なお、この要件は、民事上の名誉毀損の成立要件と同じであるとされている。なお、憲法の制定にともない、刑法230 条ノ2が追加され、表現の自由への配慮が図られた。Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case 北方ジャーナル事件
C表現の自由VSプライバシーの保護
プライバシーや名誉の保護は、憲法13条の幸福追求権の保障対象に含まれると考えられ、表現の自由との間で調整を必要とする。したがって、表現の自由に対する内在的制約の精査が課題とされる。この課題は、具体的には、刑法230条、230条ノ2の名誉毀損罪と民法710条、723条の名誉毀損に基づく不法行為責任の規定において処理がされてきた。ところで、このような経過から、プライバシーと名誉毀損は一緒に論じられることが多いが、両者はその性格をやや異にするので、本講義では別々に論ずる(名誉毀損は、社会的評価の低下を要件とするが、プライバシーはそれを要件とはしない。名誉毀損は、公表事実が真実であれば、免責される可能性があるが、プライバシーでは事実であるとは侵害の深刻さの証明になるだけである。さらに、名誉毀損は刑法上の犯罪でもあるが、プライバシー侵害が民事上の責任を追及されるにとどまる、など)。Case 『宴のあと』事件
Case 『逆転』事件
Case 『エロス+虐殺』事件
Case 『タカラヅカおっかけマップ』事件
Case 『ジャニーズゴールデンマップ』事件
Case 柳美里『石に泳ぐ魚』差止事件
Case 週刊文春差止事件
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Dわいせつ文書・図書などの規制
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
E公務員の政治的活動
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
F営利的言論
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Gビラ貼り・ビラ配りに対しる規制
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
H集会の自由
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
I結社の自由
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Jジャーナリズムの自由
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
K知る権利と情報公開
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
Case ○○○○○○○
(3) 信教の自由
@信教の自由
この自由は、
A政教分離
Case ○○○○○○○事件
Column ○○○○○○○
(4) 学問の自由
@学問の自由
A大学の自治
Case ○○○○○○○事件
Column ○○○○○○○
読書案内 渡辺洋三『財産権論』(一粒社)