第8節 お金の自由

 多くの物を持ちたくさんのお金を持っていることは、自分の望む豊かで充実した生活をするのに唯一ではないにしも、重要な条件です。それらをむやみやたらに制限したり、奪ったりすることは許されません。そこで、憲法は、この“お金の自由”、つまり、経済活動の自由を人権として保障しています。職業選択の自由(22条1項)はなんらかの経済活動をしようとする行為に対する制約を問題にし、財産権の保障(29条)は、すでに持っている財産に対する規制、とくに、公共のために、財産をとりあげる場合の方法について定めています。
しかし、同時に、経済活動は他の人たちへの影響も大きいので、制限が必要とされる場合もあります。憲法22条と29条をみればわかるように、13条に出てきた「公共の福祉」がもう一度でてきます。これは、他の人権に比べて、「公共の福祉」による制約をより強く受けることを示しています。憲法の歴史のところですでに述べたように(第1節(4)参照)、経済活動の自由を保障するだけでは、貧富の格差が拡大する一方であり、生存と福祉のために国家がさまざまな活動をするようになると、経済活動に対する制限をおこなうことが必要になってきました。このことを、日本国憲法は、「公共の福祉」という言葉を二度登場させることによって、確かめている。
そこで、どのような場合に人権として経済活動の自由が保障され、どのような制限があるのかを見てみましょう。

(1) 職業選択の自由

@いろいろな規制

 職業選択の自由にはさまざまな目的で規制がおこなわれます。それを大雑把にわけると二つになります。警察的・消極的目的の規制と社会・経済的目的の規制です。警察的・消極的規制とは、他人の生命や健康などに対する危害や犯罪行為の発生を防止するためにおこなわれる規制です。たとえば、医者さんという職業は儲かりそうだからということで自由にやれるとするとどうでしょうか? 病気について適切な治療を施してくれなければ、死んでしまうかもしれません。そこで、医者になるには、国家試験に合格し、厚生大臣の免許を受けなければならないのです(医師法5条)。
 もうひとつの、社会・経済的目的の規制とは、労働者や社会的弱者の生存と生活の保障(つまり、社会権の実現)のためにおこなわれる規制です。たとえば、労働法という分野があり、人を雇って仕事をしてもらうにはいろいろな規制があります。誰をどのような条件で雇おうとまったく雇う側の経済活動の自由であると思うかもしれませんが、社会の中で常に弱い立場にいる労働者を保護する必要があり、それの裏返しとして、雇う側が規制を受けることとになるのです。
 そして、これらの規制の目的を達成するために、ある事業をおこなうのに国の許可が必要であるとしたり(許可制)や事業の内容や事業のやり方(態様)に対して規制をおこなったりします。

A規制はどこまで許されるか?

 これらの規制が憲法からみて許されるかどうかについてはいろいろと議論のあるところです。そして、裁判所がこれらをチェックする際には、警察的目的の規制についてはきびしく、社会・経済的目的の規制についてはゆるやかにチェックすべきであるという意見が多く出されています。それは、警察的目的の規制は、害を防止・除去するのが目的であるからその目的を達成するために必要最小限度のもので十分であり、必要以上の規制についてきびしくチェックする必要がある一方で、社会経済的目的の規制についてはその規制の内容については国会での政策的判断でおこなわれる部分が多く、裁判所の判断になじまないからゆるやかなチェックにならざるをえないからです。ただ、規制目的が異なっても、実際に規制がおこなわれる手段が同じものである場合もあり、規制される側の事情も考慮すべきであると考えると、一概には決められません。規制目的と手段を踏まえつつも、一つひとつの事情に即して、検討される必要がありそうです。

Case 公衆浴場法違反事件

Case 道路運送法違反事件

Case 小売市場無許可開設事件

Case 薬局設置不許可事件

Column 裁判所の態度は一貫しているか?

Column 規制緩和は何でもいいか

(2) 財産権の保障

@財産権の不可侵

 憲法二九条一項は、原則として、財産権の不可侵であると定めています。ただし、二項と三項によって修正されているので、いまでは絶対に制限されることはないとは言えません。  ところで、ここでいう財産権ですが、一応、財産的価値を有する一切のものを含みます。
また、この規定は、権利としての財産権を保障していると同時に、私有財産制度という社会制度を保障しているのであると言われます。しかし、私有財産制度とは何と言うことについては、いまひとつ合意がなく、具体的に何を保障することになるのかについては明らかではありません。

A財産権の制約

 憲法二九条二項は、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と定めています。財産権がそもそも公共の福祉の制約を受け、その制約についてはみんな我慢しなければいけないことになります。あとで述べる損失補償は認められません。
ところで、憲法の条文には、「法律」とだけ書かれていますが、ここには、「条例」も含まれると考えられています。その理由は、ひとつには、憲法九四条は四一条の例外をなすことです。二つには、条例は地方議会という民主的基盤にたって制定されていることです。三つには、実質的には法律と差がないことです。そして、四つには、公共の福祉を理由とする制限が自由権の場合にくらべてよりゆるやかな財産権について、条例による制限を認めないのはアンバランスであることです。

B損失補償

  憲法二九条三項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と定めています。ここで言う「公共のために」とは、単なる個別的な利益を越えた社会公共の利益を意味しますが、結果として特定の者が利益を得た場合であっても、その事業全体の目的が「公共のため」であればよいとさます。  補償とは、適法な行為によってこうむった特別の犠牲を補填するものです。違法な国家活動により生じた損害に対する賠償とは違います。補償される人は、一般的制限をこうむった人ではなくて、「特別の犠牲」をこうむった人です。「正当な補償」とはいくらぐらいでしょうか? 完全補償という考え方と相当補償という考え方がありますが、裁判所は、相当補償という考え方をとっています(最大判一九五三年一二月二三日)。また、補償のお金が支払われるのは、同時ではなくてあとでもよいと言っているのです(最大判一九四九年七月一三日)。  これでは、少しひどい話と思われるかもしれませんが、戦後直後の裁判所が言ったことですので、その当時の特殊事情が反映していると考えるべきでしょう。
なお、この憲法二九条三項を素直に読めば、特別の犠牲を課する場合については、その根拠となる法律に補償規定がなければならないことになりそうです。でも、最高裁判所は、法律に補償規定がなくても、憲法を直接根拠にして補償を請求できると言っています(事件A最大判一九六八年一一月二七日)。

Case 奈良県ため池条例事件

Case 河川附近地制限令違反事件

Case 農地改革事件

Case 共有林分割制限違憲判決

(3) 居住と移転の自由

@なぜ経済活動の自由か

 この自由は、自分の住所または住むところを自分で好きな所に決めたり、変更する自由です。これには、一時的に生活するところを変更する旅行の自由も当然に含みます。
 ところで、これらの自由が経済活動の自由が定められている条文に一緒に入っているのはなんとなくおかしいな〜と思われたかもしれません。しかし、封建時代には、たとえば、内職で小物を作った農民が町まで売りにでることさえ自由ではありませんでした。まさに、当時にすれば、生活の糧を売るために必要であると考えられた自由であったのです。
 でも、現在では、それは当然のこととして、それに加えて、どこに住むかということは、経済的な問題のみならず、その人の生活全体に及ぶ事柄になっていますので、その点をふまえて居住と移転の自由を考えて下さい。

A海外渡航の自由

 よく問題になるものに、これらの条文には、海外渡航の自由が含まれているかどうかということがあります。多くの人は、「国籍離脱の自由」の中に一時的な海外渡航が含まれていると考えている。

Case 帆足計事件

Column パスポートはなぜ必要か

読書案内 渡辺洋三『財産権論』(一粒社)